【高松平藏コラム】第4回 ドイツの市長が自転車道に重ねた哲学とは何か?

キャンプなどができる場所で仲間とバーベーキューパーティーをした時のことである。その中の数人は約20キロ離れた隣町から自転車でやってきた。都市と都市をつなぐ自転車道も結構整備されているので、移動がそれなりに楽なのだ。

日も暮れて、その中の一人が、「距離は問題ないんだけど、道が暗いのは好きじゃないので、電車で帰るね。さようなら」と去っていった。ドイツの列車には自転車を持ち込めるからこそできる、移動手段の選択肢の多さが浮かび上がる。

今日、自転車は交通の「正義」で、最新の移動方法といった感があるが、欧州は早くから整備を始めた。デンマークやオランダなどはその代表格。パリなどは徒歩や自転車でどこへでも15分で行ける「15分都市」の構想がよく知られるが、これに合わせて自転車道の整備も進んでいるようだ。またドイツのミュンスターなどは自転車交通が整備された都市として知られている。

◼️クルマの存在感はどうしても大きい

筆者が住むエアランゲン市(人口約12万人、バイエルン州)も1970年代後半から自転車道整備を先駆的に始めた都市の一つ。約77平方キロメートルの面積の中で全長380キロの自転車道が整備されている。ただ、自転車道といってもさまざまで、都市間を結ぶ制限速度100キロの幹線道路に沿って、広い自転車道が作られる一方で、古い市街地に近づくほど、どうしても道幅は限られている。それだけに、自動車道に白線を引いて分離させただけのところも多い。しかしながら、時にはクルマのドライバーには不便をかける形であっても、少しずつ自転車優先道を拡充し、バージョンアップしている。そこに理念を優先させる傾向が見出せる。

そんなエアランゲン市の交通事情を見ると、歩行者(25%)、自転車(27%)、公共交通(10%)、複数乗車のクルマ(12%)、一人乗車のクルマ(26%)という割合だ(2019年、地元紙による調査)。そしてドイツ自転車クラブによって2年ごとに行われる人気の都市ランキングでも、人口10〜20万人都市のカテゴリーではトップだ(2022年)。

それでも歩行者と自転車は合わせてかろうじて50%を超えている形だが、同市も含む周辺地域の14の自治体の中では、最も自転車交通が多い。その点で言えば、ドイツは決してクルマよりも自転車が多い国ではない。見方を変えると、自動車産業は国内総生産に5%の貢献をし、労働市場としても大きく、自動車輸出国でもある。

そしてアウトバーンをはじめとするインフラも整っている。歴史的に言えば1950年代の西ドイツの都市中心部はクルマ中心に再建された。1960年代初頭、後に首相となるヘルムート・シュミットが党の交通政策担当として「すべてのドイツ人は自分の車を買う権利を持つべき」と宣言していた。クルマを「交通の王様」と位置付けた政策が大々的に進められていた。

確かにエアランゲン市の朝夕の自転車による通勤・通学のラッシュを見ると、自転車利用者の多さを実感するが、同時にクルマの渋滞も長年の問題になっている。

◼️人権としての交通

エアランゲン市の自転車道を整備したのは、1972年から1996年まで市長を務めたディートマー・ハールベーク博士。「人間と環境の共生」を掲げ、これが奏功して1991年と1992年に「環境首都」の称号を得ている。自転車のみならず、環境都市としても先駆的な町だった。同市長は自らプロジェクトチームを率いて自転車道の整備を進めた。

コミュニケーションなどを目的に政党や教会などの「自転車ツアー」もよく行われる。写真は今年4月に行われた市長とともに町を巡るツアー。いくつかの場所がコース設定され、市長自ら自治体の取り組みなどの説明も行う。「自転車都市」らしさがよく出たプログラムだ。写真中央、黒いヘルメットの男性がエアランゲン市長、フロリアン・ヤニック博士(筆者撮影)

留意したいのが、自転車道整備の背景だ。法律家でもある同氏はアメリカに1年留学し、そこでクルマ優先社会の問題点を目の当たりにした。一方、オランダでのクルマと自転車が共存する街の良さを見た。これらが自転車道整備のきっかけであるが、ポイントは、同氏が掲げた理念、「交通の平等」である。

なんとも法律家らしさを感じる理念であるが、これは「平等社会」の一つの形である。当時、クルマは「交通の王様」だったが、これは他の移動者にとって非常に危険だった。一方、歩行者や自転車が車道を移動する場合、クルマは最適なスピードが出せない。「クルマ」「歩行者」「自転車」と道を区分けすることで、それぞれが安全で、最適のスピードで移動できるという「平等性」が実現されるというわけだ。

◼️自転車は交通の「再帰的近代化」の始まり

これは別の角度からいえば、近代の成熟ともいえる。クルマが持つスピードや自由な移動可能性は、工業国の繁栄を象徴していた。科学的で合理的な「近代化」の産物である。

しかし、冒頭の電車・自転車を使って移動する話のように、近代も成熟すれば、人々は、目的や好み、持続可能性を考慮した上で、最適な選択肢と手段を組み合わせて移動する。そこには平等などの価値観が必要で、工業の近代化で達成した「早さ」だけが交通における最大価値ではない。さらに、クルマには環境問題という人類全体の不利益も加わる。こういうところにハールベーク博士は目をつけた形だ。言い換えれば、現代に応じた科学的かつ合理的なアプローチである「再帰的近代化」の動きの端緒が自転車道なのだ。

昨今、EスクーターやEVなど電気を使ったモビリティが増加しつつあるが、今後はさらに、テクノロジーの発展に伴い、クルマや自転車自体の概念が変わるだろう。同様にパーソナルモビリティと公共交通のあり方も変化すると思われる。いわゆる複数の交通手段を組み合わせる「マルチモーダル・モビリティ」や「インテリジェント・モビリティ」として精緻化されるであろうが、自然への負荷や、移動の自由、人権といった価値観を常に確認しながら進めることが肝要だ。

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