杉浦幸語る「先輩・明菜」と「プロ雀士&パチドル」新たな挑戦《あの80年代アイドルの今》

桃色3人組メンバーだった杉浦(本人Instagramより)

「明菜さんとは当時、同じレコード会社所属だったんです。私がデビューしたのは明菜さんが『DESIRE -情熱-』をリリースした頃でした。明菜さんをディレクションした方が私にもデビューから携わってくださっていて、先輩の経験談として明菜さんのことを教えていただいたりもしました」

そう話すのは、中森明菜(59)の”後輩”に当たる杉浦幸(55)。雑誌『Momoco』の美少女紹介ページの人気投票で1位になったことをきっかけに芸能界入り。1985年に大映ドラマ『ヤヌスの鏡』で主演に抜擢され、優等生と不良の二重人格の少女役を演じて注目を集め、翌86年にアイドル歌手としてデビューした。

「あの当時のアイドルってものすごく縦社会で、体育会系的な上下関係がすごかったんですよ。明菜さんとは歌番組とかでも結構ご一緒させていただいたんですが、こちらから世間話をするような感じじゃなくて、挨拶だけしたら余計なことは喋らないみたいな(笑)。でも、明菜さんからは『今日も頑張ろうね』とか声をかけて気遣ってくれたりして、私にとってはいつまでも偉大な先輩です」

杉浦の同期には「桃組3人娘」と呼ばれた西村知美(53)や島田奈美(53、現・奈央子)などがいる。

「イメージ戦略的に同世代の子達が集まる番組にあまり出してもらえなかったし、賞レースにも出してもらえなかったのは寂しかったですが、西村知美ちゃんとは今でも仲良しです。

『夜のヒットスタジオ』に出たときに、西村知美ちゃんや島田奈美ちゃん、渡辺美奈代ちゃんとかと『みんなでクリスマスパーティーをやる』って言ったら、番組の方からクリスマスケーキをプレゼントしていただいたり、ほかにも、たまに誰かの家に集まってお料理を作ってみんなで食べたりしたのはいい思い出です」

その後、杉浦は趣味を活かして“パチドル”としてパチンコ番組や雑誌での露出を増やし、さらには女流雀士となるなど、アイドルとしては異色のキャリアを進んでいく。

「アイドル当時は携帯がなかったので、時間が押しても連絡できない中、必ず迎えに来てくれる母との待ち合わせ場所を、雨風もしのげて時間も潰せる駅前のパチンコ屋さんにしていたんです。それで私もちょっとやってみたら楽しくなっちゃって。趣味でやってたらお仕事をいただくようになって。

麻雀は、40歳くらいで何か新しいことに挑戦してみたくて、どうせならと、日本で1番厳格な団体でプロ資格を取りました。筆記、面接、実践と結構しっかりやるんですけど、40過ぎて“覚えるってこんな大変なんだ”って思うぐらい苦労しました(笑)。コロナ禍で一旦やらなくなりましたが、勝負事が好きなんですね」

現在は、ラジオやバラエティなどに出演するほか、今年2月には、鈴木おさむが手がける最後の脚本ドラマ『離婚しない男』(テレビ朝日系)に主人公の妻の母親役で出演。昨年開設したYouTubeチャンネル『杉浦幸のきみに幸あれ』では、過去の出演作の秘話を明かしたり、家族とのキャンプの様子を公開するなど幅広いジャンルの動画を配信し、若者世代からも人気上昇中だ。

「好奇心旺盛なので、できることは何でもやってみたいんですよね。 私、今55歳なんですけど、“もう50代だから”っていろんなことに対して“ちょっと諦めモード”に入るんじゃなくて、今から何かを始めるのも全然いいし、やってみてダメだったらやめるのもいいし、とにかく何か興味を持ったことにチャレンジしていきたいです。

去年、35周年にはコロナ禍で開催できなかった記念ライブを東京と大阪でやらせていただいて、 今年もまた年末にでもイベントができたらいいなと思っています。とにかく、元気に遊んで、元気に働く。年齢に関係なく今を楽しみたいです」

最後に、復帰する中森へのメッセージを問うとーー。

「当時、レコード会社には宣伝用のアルバムがいっぱい置いてあって、明菜さんの新しいアルバムが出る度に毎回もらって結構聴いてたんです。私は『セカンド・ラブ』が特に大好きで、他にも素敵な楽曲がいっぱいあるじゃないですか。アルバムの中にもいい曲がたくさんあるので、そういう歌も歌っていっていただけたら嬉しいですね。私にとってはずっと偉大な先輩なので、これからもまたパワフルな歌声を聴かせていただけたらすごく嬉しいです」

先輩後輩の固い絆と型にはまらぬキャラクターは、時が経っても変わらないようだ。

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