「コメを食べると頭が悪くなる」 “コメ離れ”をあおったベストセラー本の驚くべき中身 急速な“洋食化”

日本の食料自給率はカロリーベースで38%。生きていくのに必要なカロリーの6割以上を海外に頼っていることになる。なぜ、こんなに下がってしまったのか?

“コメ離れ”をあおったベストセラー本

高度経済成長のシンボル、東京タワーが完成した1958年、ある本がベストセラーとなる。タイトルは「頭脳 ~才能をひきだす処方箋~」。著者は慶応大学の教授で、今では信じられないことが書いてある。

「主食として白米を食するということは、子供の頭脳の働きをできなくさせる結果となる」「これはせめて子供の主食だけはパンにした方がよいということである」(「頭脳」より抜粋)

「コメを食べると頭が悪くなる」

そんな主張がなぜか、またたく間に世間に浸透していった。

この頃、全国各地に登場したのがキッチンカー。官民挙げての食生活改善運動で、主婦たちが群がり、サンドイッチの作り方などを学んだという。

それだけではない。テレビ愛知の「激論!コロシアム」に出演した政策コンサルタントで元総務官僚の室伏謙一さんは、子供向けの映画もコメ離れを加速させたという。

政策コンサルタント 室伏謙一さん:
「“いたちっ子”というプロパガンダ映画があった。コメばかり食べている農村の子供たちは大きくならず、都会の子供たちは小麦を食べているから背も高くなって健康だというウソ映画。最終的に農村の人たちも都会を見習い、コメ食から小麦中心になっていった」

1950年代、なぜ日本で急速に洋食化が進んだのか?

急速な「洋食化」はアメリカの戦略!?

国際ジャーナリストの堤未果さんは「アメリカの戦略だった」と指摘する。

国際ジャーナリスト 堤未果さん:
「この頃、アメリカでは大量に小麦が余っていた。その輸出先として日本がターゲットになった。もう1つはアメリカの政策。食料を戦略物資と位置付け、武器を使わず他国を支配する政策に切り替えたのだ」

そんなアメリカの戦略は巧妙だったという。

政策コンサルタント 室伏謙一さん:
「キッチンカーにしてもアメリカ政府が直接ではなく、中間に協会をかませてキッチンカーをやった。一般の庶民からは、アメリカの“影”が見えなかった」

室伏さんによると、学校給食を制度化した時もアメリカ頼りだったという。

政策コンサルタント 室伏謙一さん:
「1954年に学校給食法が施行された。文部省は国庫負担でやろうとしたが、当時の大蔵省が難色を示したので、余剰農産物を処理しようとしていたアメリカ政府に泣きついた。だから質の悪い脱脂粉乳とかが給食に出た」

アメリカは輸出の拡大と、日本に“恩”を売ることに成功したことになる。

戦後の枠組みは「コメ以外の穀物は輸入せよ!」

農林中金総合研究所・理事研究員の平澤明彦さんは、1961年の「農業基本法」が戦後の枠組みを作り上げたと指摘する。

農林中金総合研究所 平澤明彦さん:
「この法律の第1の政策は、“農業生産の選択的拡大”。輸入と競合するものは合理化すると書いてある。つまり、コメ以外の穀物は全部輸入するという意味だった」

「当初は、そんなにデメリットはないと政府は考えていたが、あっという間にコメの消費が飽和し余ってきた。コメが余ってきたなら、他の作物に切り替えねばならなかったのに、この政策が桎梏(しっこく)になった」

家畜などのエサになるトウモロコシや肥料、野菜の種など、農業生産に欠かせない原材料のほとんどを今も輸入に頼る日本。輸入依存のルーツは戦後にあり、その呪縛から逃れられていない。

異常気象や戦争などで、もしも輸入がストップしたら…。食べ物を求めて彷徨った終戦直後のような悲劇が起きないとは言い切れない。

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