仲宗根梨乃「とてつもなく器が大きいなと思いました」ジャネットのバックダンサーか?ブリトニーの世界ツアーか? 究極の選択の答えを導いた珠玉のアドバイス

仲宗根梨乃 撮影/冨田望

人気グループ・INIやME:Iを輩出した『PRODUCE 101 JAPAN』シリーズなどの公開オーディション番組で、ダンストレーナーとして若きスターの卵たちを導く仲宗根梨乃。前向きで飾らない人柄ながら、凛とした佇まいなどで幅広い世代から親しまれている。そんな彼女の「THE CHANGE」に迫る【第2回/全5回】

マイケル・ジャクソンに憧れた少女は、持ち前の前向きさとガッツで、世界のトップスターたちと共演するダンサーへと上り詰めた。成功の第一歩を踏み出せたのは、ジャネット・ジャクソンの大きな愛を受け取ったからだという。

「19歳で渡米して、まずはダンスをしっかり学ぼうとダンス専攻がある大学に通いました。今のようにネットでなんでも調べられる時代ではなく、自分が苦労して見つけたのはカリフォルニアの中でものんびりとしたサンディエゴの学校。しかし、思っていたダンススタイルではなく、求めていたものはロスにあるDance Studioにあった。アートな刺激を求めていた当時の私は、ダンスイベントやレッスンクラスが豊富にそろっているロサンゼルスまで毎週末、2時間かけて通い続けましたよ。その後、ロスにある大学へトランスファーしました。

大学を卒業すると、1年間限定で働けるプラクティカルビザが下ります。その間に仕事に就けるかが勝負。なので、チャンスをつかむためにエージェントに所属しながら様々なオーディションを受けまくりました。そのときも、常に自分がマイケルになった気持ちで踊っていましたね(笑)。

ビザがちょうど切れそうな時、ジャネット・ジャクソンのプロジェクトでダンサーを求めていることを知りました。このオーディションを受けられたことは、本当に幸運でした。実はそれまでにも何度かトライしたものの、まだ未熟だったため合格できずにいたんです。このチャンスを逃すわけにはいかないと思いました。

オーディション中、どんどん候補者が絞られてくると、ジャネットが直々に見てくれるようになるんです。本来ならそこですごくアピールしなきゃいけないのに、頭が真っ白に。しかも1度ならず2度も振りが飛んでしまったときは、“もう、ダメかもしれない”とひどく落ち込みました。でも、振付師の方が“最後に全員でもう一度踊って”と、3度目のチャンスをくれたんです。そのときは、懸命にジャネットの視界に入る場所に駆け寄って、全力でアピールしました。結果は晴れて、合格! “自分はその場にいる誰よりもジャネットを知ってるし、愛してる!”という強い自信はあったので、ジャネットもそれを感じ取ってくれたのかもしれません」

オーディションに合格した直後に訪れた大きな分かれ道

念願かなって、ジャネット・ジャクソンと一緒に踊れた…、そう簡単に物事が運ばないのが、仲宗根さんのライフストーリーのユニークなところだ。

「ジャネットのチームは、切れそうだったビザ取得もサポートしてくれました。そのとき、実はブリトニー・スピアーズのワールドツアーに参加しないかというオファーをいただいていたんです。自分としては、ビザまで用意してくれた敬愛するジャネットとの共演を希望し、ワールドツアーは断るつもりでいたんです。

でも、ジャネット側から“今回のプロジェクトは1回限りのもの。ブリトニーは世界的なスターで、ワールドツアーに帯同することはダンサーとしてすごく大事な経験になるはず。私たちとはまたきっとチャンスがあるから”と背中を押してくださいました。とてつもなく器が大きいなと思いましたね。

それでも、ジャネットと踊りたい気持ちは残りましたが、ワールドツアーに参加し成長することがジャネットの想いに応えることにもなると思い、ワールドツアーを選びました。これこそ、大きな分かれ道、“THE CHANGE”ですね。すごく迷って悩みましたが、アドバイスを受け入れて本当によかったと思います。

実際、ワールドツアーでは学ぶことがたくさんありました。リハーサルの仕方や、ハードル高い振り付けを短期間で自分のものにするスキルなど、プロフェッショナルの世界を見ることができたからです。そうした臨機応変さは、後々自分でもコンサートの演出を手がけるようになって役立っているなと感じます」

仲宗根梨乃(なかそね・りの)
1979年6月11日沖縄生まれ。マイケル・ジャクソンに憧れ、エンターテイナーになる事を夢みて19歳で渡米。バックダンサーとしてブリトニー・スピアーズ、グウェン・ステファニーのワールドツアーや、ジャネット・ジャクソン、ミッシー・エリオット、ジャスティン・ビーバーなど数々のアーティストと共演。2008年、SHINeeのデビュー曲『Replay』でコレオグラファー(振付師)としてデビュー。これをきっかけに、多くのK-POPアーティストの振付依頼を受ける。2009年には少女時代のシングル『GENIE』の振付を行い、彼女たちの長い脚を生かした“美脚ダンス”が日本でも話題に。その後も数々の振付やコンサート総合演出を行う。現在もLAを拠点に審査員や、舞台、TV、女優業とさまざまな分野で活動中。

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